和方養生技術伝承塾~鍼灸・操体実践講座~ 急性期から慢性期まで患者さんが喜ぶ技術を伝承します

心は他人かもしれない

はじめに †
•今回は、ここまで書いてきた操体に関係する事を改めて考えてみて、
どうして人は病気になるのかなと言うことを書いていきたいと思います。

心とからだ、どっちが自分 †
•さて、みなさんは、
心と体、どちらが自分だと思っていますか?
◦「我思う故に我なり」と言われるように、
心が自分だと思ってらっしゃる方が多いのではないでしょうか?
•今回の話の中心は、「心は他人かも知れない」という事です。
◦「えー、そんなバカな」とおっしゃられる方のほうが多いと思います。
◦でも、普段、心で思っている事のうちで、
自分が実際に体験した事や自分がその体験を整理して考えたりした事から
心に思い浮かべているものの割合は少ない方が多いのではないでしょうか?
■私自身、自分で振り返ってみて、多くて1/3ぐらいかなと思います。
残りは他人の言葉や思いに由来するようです。

心が思うのは世間の空気 †
•心に何か一つのイメージが浮かんだ時に、
そのイメージから別のことを連想していく事で、
心は思うという行為を続けていきますが、
その連想のパターンも、
自分の実際の体験を中心に作られている方は少ない
のではないでしょうか?
•言われた事、読んだ事など、他の方の言葉や思いに基づいて、
連想を続けているように思います。
◦特に、日本では、国語教育で、
作者の心情を読みとりなさい
という設問を沢山解答させられます。
◦そして、世間の空気を読んで、それを心に思い浮かべ、
それに従って行動するよう躾られます。
■この場合に、明確に言葉で指示されない事のほうが多いですが、
世間の空気とは、言ってしまえば、
その世間を牛耳っている親分たちがどう思っているかではないでしょうか?
•そういう日本に特に目立つ事なのかもしれませんが、
体が感じている事よりも
世間の空気のほうを優先して心に思い浮かべている
方を沢山見かけます。

体が感じている事を心に思えないと病気を自覚しにくい †
•そういう風に、
世間の空気を読んで動いたほうがラクかもしれませんし、
世間体も良いのかも知れません。
•しかし、
それが体の感じている事と離れ過ぎていると、
体の不調を感じにくくなるので、
体に歪みは蓄積されやすくなります。
◦そういう事情があるせいか、
体が感じている事を心で思えない方、つまり、
「心が自分で、体は道具」のような感じで生きている方が、
病が重くなる傾向にあるように思います。
■「心が自分で、体は道具」のような感じで生きていれば、
体の感じる不調や歪みを心に思い浮かべる事が出来ない
という事に繋がりますので、
体の調子の悪さや歪みがどんどん蓄積されていく事になります。
■ま、病気が重くならないと自覚できない、
大きな症状が出て初めて自覚する、つまり、
体の中の器官が破壊されて初めて体の不調を感じる
と言う事にもなりかねないわけです。

体、心、頭、口、行動が一致していると病気になりにくい †
•逆に、
i.体で感じている事、
ii.心で思っている事、
iii.頭で考えている事、
iv.口で言っている事、
v.体で動いている事
が一致している方は、大きな病気にはなりにくいようです。
◦病気になっても一晩寝れば治ってしまう、
宵越しの風邪はひかないタイプが多いように思います。
◦これは、人の体は、ホモ・サピエンスになってからは殆ど進化していない
野生動物に近いままだからだと思います。
■野菜や家畜のように品種改良されているわけではありません。
■そういう体を持つ人間が、
その体が感じている事とは違う事を心で思い浮かべて行動していれば、
体に歪みが蓄積されてしまうのも当たり前かなと思います。

体の感じている事を中心にする †
•「体が自分で、心は他人、少なくとも心の3分の2は他人かもしれない」
と思っていたほうが健康には良さそうです。
◦操体の練習で
体の内側に起こっている事を口に出して言う
習慣を付けるのは、
上達が早くなるだけではなく、
とても良い養生法になるのも、
そういう事からも来ているようです。
•普段の暮らしの中で何か迷った時にも、
体が気持ちよいと感じるかどうかを判断基準にしたほうが、
健康には良さそうです。
◦そして、その判断で回り道する事になっても、
賽の河原の石積みのような繰り返しをするような結果になる事は少ないようです。
◦逆に言えば、
体が気持ち悪いと感じている事を選択すると、
その時はラクに過ごせても、
賽の河原の石積みのような繰り返しをする羽目になる可能性が高いという事です。
■皆さん、思い当たる節は有りませんか?

狭い世間の中だけでは暮らせない時代 †
•世間の空気を読んで行動する事を要求され、
建前と本音が違い、
アカウンタビリティ(ガッテンして納得してもらえるような説明をする責任)の無い
日本では、
社会的に不利になる事もあるので、
時や場合、相手を選び、言い方にも工夫する必要があるでしょう。
•ただ、地球全体が単一市場化していく21世紀において、
文化が異なる国際間の仕事で通用するのは、
何でも口に出してきちんと説明できる方だと思います。
◦国際社会では、
心情を読む事よりも、
事実に基づいて相手が納得できるように心情を説明する
事を要求されます。
•日本の中でも
一生同じ世間で暮らしていける人はどんどん少なくなっていくし、
世間と世間の垣根も低くなり、
違う世間の人達と仕事や暮らしの場で交流する機会も増えていきます。
◦日本では
世間が違えば大幅にその空気は違うので、
互いの空気を読み合うだけでなく、
相手に伝わらなかった空気を説明し合う必要が増えてきている
ように思います。

狭い世間が崩壊しつつある時代 †
•また、今の日本は、
世界の他の国々、特に、他の先進諸国と比べても
社会の成熟度が進んでしまって、
世間の空気を読んでそれに従って生きていても、
いざという時に世間が守ってくれるとは限らない
世の中になっているように思います。
◦2003,4年頃続いた
「世間の空気を読まないとバッシングされる」
という風潮も
そういう時代だから逆に強調された事のように思います。
■世間の崩壊が始まった日本で、
今まで世間に縋(すが)って生きてきた方々がおこした
最後の足掻きのように思えます。
■また、今まで互いに狭い世間の中だけで通用した空気が
狭い世間を越えてぶつかり合い始めた事で目立つようになった
現象でもあると思います。

世間が鬼ばかりになってきた †
•そこには「渡る世間に鬼は無し」と言われた時代の世間に見られた
温かさや余裕は感じられません。
◦そういう温かみや余裕の無くなってしまった、
恐い鬼ばかりの世間から、
沢山の方達、特に若い方々や子供達が逃げ出そうとしているのが、
今の日本の現状ではないでしょうか?
■そうして、世間の崩壊はどんどん進んでいっているように思います。
■それに、そういう鬼ばかりの世間の空気を読む事にだけ心を向けていて、
体の感じる事を心に思い浮かべられない状態が続けば、
病気になりやすいのも当たり前かなと思います。

コンピュータは空気が読めない †
•そう言う現象の背景の一つはコンピュータ化だと思います。
◦コンピュータ・ネットワークの発展で、
普通の会社で昔ホワイトカラーの方々がしていた日常の仕事(ルーティン・ワーク)は
コンピュータがするようになりました。
■つまり、ホワイトカラーの頭の中にあった、
書類作成・操作を始めとする仕事の仕方のコツは全て、
コンピュータの中に入ってしまいました。
◦工場生産や商品流通もコンピュータ化ロボット化が進んでいます。
•コンピュータやコンピュータが頭脳のロボットは、
空気は読めませんから、
仕事の仕組みを一つ一つコンピュータに伝わるように作っていくしかありません。
◦逆に言えば、そうして作られた仕組みなら、
空気の読めない違う世間の方でも使いこなせます。
■今のところコンピュータやロボットに置き換えられない仕事は
新商品開発や接客営業などですが、
どんどん少なくなっています。
•これから、
今までコンピュータ化が進んでいなかった処、役所や学校、病院などでも、
コンピュータやロボットに出来る仕事は、
それらに委せるようになっていくでしょう。
◦こういう事を今までに人類は体験していないのでモデルはありません。
■大変かも知れないけれど面白い時代だと思います。

どこでもいる普通の人はコンピュータと比較される †
•それに、学校の国語教育などで
世間の空気を読んでそれに従って生きていくように躾られ、
みんな同じ様な何処にでもいる日本人に育てられてしまったというのは、
極論すれば、
空気読みロボットのように育てられてしまう
という事だと思います。
•また、
学校で習う筆記試験で測れる程度の記憶力や推論能力は、
パソコン・ネットワークのほうが人間よりも上を行く時代になってしまいました。
◦知識の量と新しさでインターネットに勝てる方はいないと思います。
◦推論能力の面でも、今世紀に入る直前に、
コンピュータのチェス・プログラムが人間のチェスの世界チャンピオンに勝ちました。
•筆記試験で良い成績が取れる空気読みロボットとして学校で評価されても、
実社会に出たら、実際の仕事場では
ルーティンワークはコンピュータネットワークやロボットで行われているので、
◦正社員になるのは
独創性があって新しいサービスや技術、道具を開発出来る人だけで、
◦何処にでもいる空気読みロボットみたいな方は
パートにしか雇われない
正社員に雇われても使い捨て扱いされる
■と言う悲劇というか喜劇というか、
そんな事態が現在の日本では進んでいるように思います。
•そういう点からも
今後日本の社会は変わって行かざるを得ないのではないかなと思います。

操体みたいな事はコンピュータに置き換えにくい †
•そういう時代だから余計に、操体を通して
体の感じている事を心に思い浮かべられるように練習していく事は、
健康という面を離れても大切な事のように感じています。
◦また、操体のような事は、
症状や検査結果から病名を決め薬を処方するよりも、
コンピュータやロボットには難しい事です。
■それで、それらの機械に委せるようになるには長い時間が必要ですから、
人と人が工夫して伝え合う時代が暫(しばら)く続きます。

次回からは、操体に固有の自然則 †
•さて、次回からは、そういう操体について、
今までに私がまとめる事ができた原則を書いていきたいと思います。
◦「体の自然」編や「操体は対話」編では、必ずしも操体という治療法に拘らない、
体や伝え合いの自然則を書きましたが、
今度は、操体という方法に焦点を当てて、
その自然則を書き出していきたいと思っています。
◦操体を通して人と触れ合える人が沢山いるといいなと思いますし、
人と人が触れあい伝え合う時間や機会を増やすには
操体はとても良い手段だと思いますので。

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